永遠なる愛

ひとつであるということの意味は 
個性を失うということではありません。 
誰もが自分の個性を活かしたいと思い、 
必要とされたい、誰かの役に立ちたいと思っています。 

魂の本質においてもその性質は失われません。 
ただし、物質次元における愛と 
魂のレベルにおけるそれとは質が異なります。 
物質次元の愛は一時的であるのに対し、 
魂の愛は永遠です。 

また、物質次元の愛は「自分」がその中心に位置しますが、 
魂の愛は「永遠なるもの」へ向けられます。 
その、「永遠なるもの」は、 
私たちの「源」である「唯一の存在」ともいえます。 
その永遠なる唯一の存在に、永遠の愛を捧げることを 
「サナータナ・ダルマ」といいます。 

言い換えるならば、私たちは、 
誰もが”光の波動”という 
「源」からつくられた 
「部分」であり、 
「部分」である私たちのエネルギーはその「源」に向けられています。 

私たちの「源」である存在は、 
私たちに常に愛を与えています。 
私たちがそのことに気づくずっとずっと以前から 
常に私たちに永遠の愛を無条件に与え続けています。 

そのことを知り、 
「部分」である私たちが「源」に愛を注げば、 
その「源」からさらなる愛が与え返されます。 

私たちが愛を増せば、源から与え返される愛も増します。 

その愛を増すためには絶対条件として 
私たちはひとつでなければなりません。 
そのためには私たちは物質的二元性から 
解放されている必要があります。 
そこで質的にひとつとなり、一体となります。 

さらに私たちは、 
一体感だけで愛を体験することはできません。 
対象となる二つの局面が必要です。 

「源」つまり「神」と「部分」である「私たち」の間で 
愛が交わされるときに初めて、 
愛し、愛されることができます。 

「同じであり、同時に異なる」 
「アチンチャ・アヴェーダ・ヴェーダ・タットバ」 
それが主チャイタンニャが説いた究極の哲学です。 
神と私たちは質的に同じであるが、 
私たちは永遠に神の部分体です。